2023年12月16日。愛媛県の坊ちゃん劇場で行われた「8K等身大上映会in愛媛」にて舞台『ブレイキング・ザ・コード』を観てきた。
下手で拙い文章ながらも、上映を決めてくださった関係者様・実際に舞台を作り上げた方々への感謝を込めて言葉を残しておきたい。
以下はその感想となります。当然ながらネタバレも含みますのでご了承ください。
▮事の経緯
こちらの演目は今年の3月28日~4月23日まで東京のシアタートラム様にて上演されていた舞台。
恥ずかしながら亀田佳明という役者を朝ドラきっかけに知ったばかりの私がこの舞台に気づくころには上演はおろか配信すら終了していた。あまりにも…あまりにも愚かだった…。
が、そんな折に愛媛で8K上演を…!?
⳹愛媛・追加上映決定⳼#EPAD Re LIVE THEATER in Ehime
— EPAD-舞台芸術のデジタルアーカイブ (@epad_official) 2023年11月17日
〜時を越える舞台映像の世界〜
今年4月上演の舞台「#ブレイキング・ザ・コード」の8K等身大上映会が決定いたしました!
日時12/16(土)14時
会場:#GreatSign坊っちゃん劇場
チケット発売:11/21(火)12時〜
詳細:https://t.co/XhtwWBajzT pic.twitter.com/r18iWMRT9T
行くしかないだろうが……!!
直感でこれは行かないと絶対に後悔すると思い、ツイートを見た時点で行くことは99%決まっていた。残り1%はチケット争奪戦に負けた時。それくらいあり得る舞台だと思っていたし、それくらいあらすじ・題材の時点で惹かれていた舞台だった。
▮大まかなあらすじ
(以下、公式サイトからの引用)
第二次世界大戦後のイギリス。
エニグマと呼ばれる複雑難解なドイツの暗号を解読し、イギリスを勝利へ導いたアラン・チューリング。しかし、誰も彼のその功績を知らない。この任務は戦争が終わっても決して口にしてはならなかったのだ。
そしてもう一つ、彼には人に言えない秘密があった。同性愛が犯罪として扱われる時代、彼は同性愛者だった。
ある日、空き巣被害にあったチューリングの自宅に一人の刑事がやってくる。
あらゆる秘密を抱え、孤独に生きるチューリングが人生の最後に出した答えとは。
実在した彼の生涯を、少年時代、第二次世界大戦中の国立暗号研究所勤務時代、そして戦後と各時代を交錯させながら描いていく。
日本では1988年に劇団四季で、映画では『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』という作品にてベネディクト・カンバーバッチさんが演じてた、らしい。
お恥ずかしながらどちらも未履修の為大したことは言えないのですがベネディクト・カンバーバッチがやった役を亀田佳明がやるというのはなんだかすごい分かるのかも…などと俗っぽいことを少し思ったりした。
初見は絶対に舞台でだ!と強く思い我慢していたため、これで心置きなく映画の方も視聴したい。
▮第一幕
・第1場
刑事のロス(演:堀部圭亮)とアランの対話シーン。
空き巣に入られたというアランの通報を受けて事情を聴いている。
開幕1分ほどでアランという人間を演じる亀田さんの演技があまりにもすごかった…というのも、この辺りの表現が難しいのだが、人間的な不潔感を演技で出せるのって凄まじいことだなと。誤解のないよう言えばこれは「ああ、こういう感じの人いるよね~」という意味の人間的な不潔だ(アランは作中でしょっちゅう爪を噛んでる)。
役者本人に役の人間が張り付いてもうそういう癖を持ってる一個体の人間にしか見えなかったというか。
先にも話したように、私が亀田さんを知ったきっかけは朝ドラの野宮さんだったため、凛として上品であった野宮さんからはかけ離れた癖、所作に一瞬で引き込まれた。
と同時に、元より信頼度120%で挑んではいるが、数時間の舞台を共に過ごすのにこの人間はとても信頼が出来る…!と強く思う瞬間だった。
演劇は映像と違いシークバーで飛ばしたり、期待外れだったやっぱりやめーた、とはいかないコンテンツ故、開幕の数分が一番色んな意味で大多数ドキドキするものだとは思っている。
もちろんそのライブ感を楽しんでこそだとは思うのだが2~3時間睨み合い続けることを思うと当然心を通わせられるものならなお良いわけで…。
そういう意味でこの第1場はその安心感をつかむのには十分すぎるものだったと思った。
堀部さん演じるロスの上辺だけの愛想のよさ、亀田さん演じるアランの変人っぷりの絡み合う少しちぐはぐな会話。それが少しコミカルだったり不気味であったり。
これから起こるであろうことへのワクワク感が詰まっていた。
個人的にはこのシーンを見てて「ロスさん…刑事のお仕事大変だな…」だなんて変にしんみりしていた。正直それくらいここのアラン、腕白過ぎる。
・第2場
時代は遡りアランが17歳ごろのシーンに移り変わる。
ここで登場するのがアランの初恋の同級生クリス(演:田中亨)。
田中さんは名前だけは存じ上げていて実は演技を見たのは初めてだったのですが、想像していたよりもずっとしっかりとした演技をする方でびっくりしました。24歳!?!?!?!?若すぎる。すごい。
さながら王子様のような白いパンツにカンカン帽というさわやかなシティーボーイのいで立ち。それでいて頭もいい。そりゃあ勉強大好きなアランは一緒にいるの楽しいだろうなぁと納得するだけのものを存分に感じた。
このシーンでクリスはアランの家に遊びに来るのだが、そこで登場するアランの母親サラ(演:保坂知寿)とアランのやり取りがあまりにも息子と母親過ぎる。
個人的にいろんなことを思い出してして胃が痛くなるくらいとんでもなく親子のやり取りだった。まぁでも思春期の親子のやり取りなんてこんなものよねと。
このシーンではアランの学校での様子、ひいては社会的にどんな視線を浴びているのか、どんな環境で育ってきたのか、クリスという人間は何者なのか。そんなものが大まかに描かれていた。
シーンの終わり際、アランはクリスに歩み寄る。
「僕が何を望んでるか分かる?」
この問いかけにそれは何かと訊ねるクリス。
「この家が僕のものだったらなぁって。ここが僕の家だったら。一緒に住めるだろ、君と僕で。僕たちの部屋、僕たちの実験室。一緒に研究して。いろんなことを分かち合って。最高だよ。そういう生活」
これを初見で聞いた当時は、ああ、彼のことが好きなんだな。とあらすじ通り安易に受け入れてしまっていたのだが、結果としてこの言葉が物語を全て見終わってからボディーブローのように効いてくる。
・第3場
時間は現在に戻り空き巣事件の少し前。ロン(演:水田航生)と出会う冬の酒場のシーンになる。
ここで演じるロン役の水田さんの甘いマスクっぷりがすごい。正直側からみたらどう見ても手を出したら危ない男すぎる。けど、実際に耐性のない人間が、庇護欲に弱い人間が彼を見たらたまらなくなって手を振り払えないだろうなというそんな少し危険で可愛らしい青年だった。
結果的に、アランもまんまと彼に引っかかってしまうわけなのだが、それに関しては彼が若くてイケメンだから歩み寄ったというわけではないのだと思っている。
事実、ロンが隣に座って話しかけてきた当初のアランはだいぶオドオド、よそよそしい素振りであった。元よりただコミュ障なだけな可能性もあるんですが、まぁそれ言い出したらキリがないのでそれは、それとして。
少々距離を感じるスタートから、仕事の話、アランの研究の話、それから科学の話と彼の興味に近づいていくごとにアランはロンに興味を示し始める。
化学者になりたい少年時代があったと、当時買った実験キッドの話をロンがしたのを皮切りにアランは「良かったら何か食べに行かないか」と仄かに誘いをかける。
が、ロンはこれを即座に「気分ではない」と拒否。
それを聞くや否や、自分の心を守るようにアランは「大丈夫」というそぶりを見せる。
正直滅茶苦茶落ち込んでいる。ロンからしたら若干怖いなって案件かもしれないけど俳優を知ってる身としては分かりやすすぎて可愛らしいな、などと思ったり。とはいえ少し気まずいシーン。
今思えばこれは駆け引きが上手いそれだな…という気もするのだが、まぁひとまわりも年上の初対面の人間に言われたら少し言いよどむよねという。
ロンはそんなアランを見て「他の日でもよかったら」とこぼす。
こっからのアランときたらもう、きらきらウキウキで自宅の住所を教えてしまう程わかりやすく喜んでいてちょっと怖いくらいに距離詰めてくるな???という不器用さが人間臭くて私は個人的に好きだった。多分実際にされたら怖いけども。
・第4場
通報の件で再びロスと対話をするシーン。
第1場でアランが話した証言に食い違いがあるとロスは言う。
言ってしまえば当初からアランは自分で通報しておきながら明らかに証言に虚偽があるような口ぶりだったわけで、それがいよいよバレ始めてきたぞというシーンだった。
空き巣自体は事実なのだがアランが事件の直前に会ったというセールスマンの男は近隣の住民は誰一人として目撃してないという事態。
何か隠してますよね?と詰め寄られても尚白状しないアラン、仕舞いには「どうでもいでしょ!?」と逆ギレしだすという。ロスさん仕事大変だな…と相変わらず思ったシーンだった…(笑)
いや、これ私がロスさんの立場だったらわけわからな過ぎて発狂してただろうなと。
何よりなんで通報したかアラン自身まで訳わからなくなってるし。
緊迫したシーンではあるんですが私自身は少しクスッとしてしまった場面でもあった。
場面終盤。後半に再び登場するロスの上司スミス(演:中村まこと)がアランの退場後登場する。
この中村さん演じるスミスの只者ではないオーラがすでにこの時点で半端ない。
少し不穏な余韻を残し、場面は再び移る。
・第5場
時代はまた少し遡り第二次世界大戦中。
少し難しい話をしているシーンではあるのだが、いわゆる彼がエニグマと呼ばれる暗号を解読するに至った研究所にやってきた日の話だ。
研究所に来ると、アランの上司となるノックス(演:加藤敬二)が出迎えてくれる。
このノックスさんがとてつもなく良い人。いや、良い人かどうかというのはそれこそ人によるのかなと思うのだが。
少なくともアランの気性を跳ねのけることなく、優しく、親身に歩み寄ってくれる姿勢を見せてくれる、そんな人のように思えた。
でまぁここのシーンで凄いのがアラン…というか最早亀田さんの台詞量。
戯曲の方を読むと分かるがもう卒倒しそうなほどの長尺台詞がある。言ってしまえばほぼ1ページ丸々アランの台詞というシーンがある。しかも、数学の論文の解説をするというセリフ。
以前見たBTC公式のインタビュー動画で亀田さんが「数学とかの勉強が難しい…」と若干こぼしていたなと思い出したが、いやまぁ確かにこれ理屈少しでも分からないと何言ってるか分からなくなるわな…というくらい、難しい。
正直初見じゃ全然理解できなかったし、戯曲を横に読み返してる今もあまり、わからない。申し訳ない…。
完全に列車に乗り遅れた人間みたいになっていく感覚だったし、多分そういうシーンだったんだろうなと…。
これを聞いたうえでのノックスさんも「わかった、いやわかってないんだけど……」。
そう、そうだよね…よかった…。
ともかく、ここでアランは自身がチューリングマシン…所謂コンピューターの発想に至った経緯を話してくれる。
その上で、大切なことは実現可能かどうかではなくまずは「思考を重ねる事」だという。
この言葉もまた、この話を通して重要なワードの一つになっていくものだと見終わった今は感じている。
その後、アランの同僚となるパッド(演:岡本玲)が登場。
どこかアランに惹かれるような素振りをパッドは残し、場面は終了する。
・第6場
時間は再び現代に戻りロンがアランの家に来た日。
あえて詳しく言うことは省くが、ここで直接的にアランが同性愛者であることが言葉に出される。
ロンのよく見る悪夢の話、アランが今思考しているとある小説の話。
一通り幸せな時間を過ごした後、二人の間に諍いが起きてしまう。
ロンに朝食の買い物を頼もうと自身の財布を手にしたアランは財布の中から8ポンド減っているということに気づく。
15ポンドあったのが7ポンドになってる。いやまぁそれは気づかれるよロンくん。
ここから、アランの「言い方が悪い」癖が出てしまいよりこうぐちゃぐちゃと…でもまぁわかるよ、あまりにも混乱した時って最悪のいい方しちゃうこともあるよね…と少し思ったり。
どちらかといえばこのシーン、親の財布からお金盗ったのがばれた時の息子みたいに見えてあまりにも等身大だった。
結果としてここのシーンの終わりで表面上仲直りはしたもののかなりギクシャクした様子で二人は別れることとなる。
そこに至るまで、盗ってもいいからどうか僕を置いていかないでとロンへ縋るアランがあまりにも痛々しくて。とにかく、苦しい、息が苦しい。そんなシーンだった。
・第7場
時間は研究所時代。
アラン親子の元へパッドが遊びに来ている。
ここで明かされるのはクリスは既に亡くなっているということ。
子供時代結核を患っていたクリスは発作を起こし、在学中に亡くなってしまう。
それ以降、アランはクリスが出来なかったことを代わりに背負って生きてゆくと心に決め、その感情は結果として「クリスの心は体がなくとも存在できるのか」という思考に行きつくこととなる。
ここの話は側から聞いたら重すぎるシーンかもしれないが、正直個人的には聞いていてとてもぞくぞくしてワクワクした。
人の、こういう憧れがあるからこそ、たどり着く神秘がある気がとてもドキドキした。
シーンの後半、パッドはアランへ愛していると伝えるが、アランは友達としてしか君を愛せないという。
もちろん、アラン自身の性嗜好というものもあるだろうが、上記の話を話したうえでアランは「愛せない」といったようにも聞こえた。
・第8場
第一幕の最後のシーン。
アランの家にロスが訪れる。再度、空き巣の件についてハッキリさせたいと。
ここで証言で隠していた存在がロンであると、アランがロンと関係を持っていたことがバレてしまう、というのもロスに詰め寄られた結果アランは衝動的にこぼしてしまう。
混乱して感情の起伏があちこちに行く様があまりにも凄く最後に駆け上がってくに連れ息をのむほどだった。
ここで第一幕修了、というわけで休憩が挟まるのだが、正直夢中になりすぎてて「え!?もう前半終わり!?」と呆然としてしまった。
既にこの時点でいや~~~~見に来てよかったと大満足。
惹かれる内容だとは思っていたがここまでとは。
▮第二幕
・第1場
アランがどこかの学校で講演をしているシーン。ここでコンピューターについての話をしていくのだが、この話がまぁあまりにも時世に合いすぎている。
アフタートークにてプロデューサーの笹岡さんも話していたことだが、ChatGPTやAIというものが話題となった2023年にふさわしい題材であったと思わせるそんな第二幕の幕開けだった。正直ここで話していたアランの予想するコンピューターの未来はほぼ今実現している。
”コンピューターに知性はあるのか。”
これに関する思考実験。結果、アランは「ないという理由は見当たらない」という。
このシーンの一部は公式のダイジェスト動画で少しだけ見れるので興味があれば是非とも見ていただきたい。何よりも、こちらに語り掛ける場面によって亀田佳明の良さが何千倍にも増して出ているので…。
・第2場
研究所時代のシーン。
世間では戦争の激しさが増す中、ここではそんな状況に置いてのアランの立場のようなものを描いている。
ノックスはアランがここにやってきた際に「仕事に社会性は関係ない」と暗に言った。
だが、実際はそうではない。厳密にいえば、そういわざるを得ないというのが現実であるという話だ。
人によってはここすごく重く刺さったシーンなんじゃないかな…などと思ったり。
少なくとも私はやるせない気持ちというか、何かそういう感情になった。
ここのシーンでノックスさんが好きになったというか、彼の人間としての深みがグッと増した場面だなぁと思っていた。
感情的になり、激昂するアランになぜ自分がこういう話をしているのか、なぜ自分はそのように思ったのか。アランの人となりに寄り添おうとしてくれてるであろう彼ならではの歩み寄り方でなぜ彼が優秀と言われていたのかがしっかりと分かる丁寧なシーンだった。
あと、ノックスさんの前にいる時が一番アランは子供っぽいなぁと。
要するにどこかしらアランもノックスに甘えてる節はあったんじゃないかな~とは感じました。といってもこの頃のアランも若いと思うので年相応なのかもな…なんては思うんですが。
後々のことを思うとノックスさんがもっと長生きしてたらアランも何か、何かきっかけがあったのでは、なんて思ってしまう。
・第3場
サラの家に訪れるシーン。
警察にロンとの関係がバレた後の時間軸であり、ここでアランは自分のセクシャリティについて母親に打ち明けるためにやってきた。
というのも、当時のイギリスで同性愛は犯罪だったため裁判にかけられ実兄もあり得ると。
主題こそ、セクシャリティのカミングアウトというものではあったが、ここでのシーンはずっと見ないふりをしないできた親子間の”無理解”というものに切り込んだ場面のように私は思えた。
大なり小なり、親と子は相いれない部分があるものだと思う。チューリング親子もまたそんなありふれた親子の形の一つであったと私は思う。
子は親に理解してほしい、けど理解してくれないことも分かっている。親もまた子を理解できない、だが理解できるものだとは思っている。
こういった結果から生まれるジレンマは最終的に「諦め」という形で蓋をされていく物であり、いつか火種になることもあれば一生開けられることなく忘れ去られていくものがほとんどだろう。
結果として、アランはそれを開けざるを得なくなった。いや、開けなくても良かったのかもしれないが、彼自身がそうすべきだと選んで実行したのだろう。
「聞いてよ、分かってほしい」
どうにか今の自分を母親に伝えようとするアランから出たこの言葉には、そんな彼自身の選択の意志が詰まってた気がした。
その後アランから打ち明けられた言葉を聞いて寄り添うサラもまた「自身の息子が理解できなる事への恐怖」をこぼす母親であった。私にはそう見えた。
サラという人間は最終的にアランに寄り添えど理解することは叶わなかった、そんな存在だと思うのだが、その姿はあまりにも母親過ぎるくらい母親であり、何よりも深い愛を感じた。
あとこのシーンのアランが本当に本当にあんまりにも息子で、ほんとの親子に見えるなというくらい…いや凄いな…とひたすら感動してしまっていた。凄すぎる。
・第4場
ロンとの関係性についてロスから取り調べを受けるアラン。
アランの供述とともに舞台の上では当時の彼らのやり取りが実際に行われていく。
ここのシーンでアランがロンを待つ間にご馳走を丹精込めて作って待ってたこととか、ロンが興味を持ってくれた本をじゃああげるよ!と渡したりしたこととかが判明して、多分側から見たらちょっと重いな…のが見受けられるシーンなんですが、もう1時間以上アランと共に過ごしてきた身としてはなんかまぁアランの可愛い所なんじゃないかなこれは…だなんて思えて来たりして…。
実際にこれは受けた相手がどう思うかが問題なんで私がどう思おうと知ったこっちゃねぇって話なんですが、事実この時間を通してロン自身もアランに惹かれていっているようにもどこか感じる回想だった。
正直、出会ったばかりのロンやアランと関わってる前半の頃の彼はおおよそ6,7割は嘘、もしくは誇張で喋っているんだろうなと少し思っている。それはアランに対してだけそうなのではなく、彼が今生きてく中でそうせざるを得ない日常を送ってるのではないかという想像からで、ロン自身の人間の本質はもっと純朴な何かを持っているという気はしていた。
故に、実験キッドを買ったという話なんかはきっと本当だったんだろうという気がどこかしていた。
本当に化学者になりたいと思っていたかの真偽は置いておいて、少なからずロンもまた実験を試みてその神秘に目を輝かせた瞬間が少年時代にあったのではと。
アランの研究についてなんだかんだ熱心に耳を傾け、コンピューターという夢に「楽しいんだろうな」と感銘を受けるその姿からはそれを想像させるだけのものがあった気がする。
そんな彼が、キラキラと神秘について語るアランの姿は性的嗜好に引っかかるかは置いておいて、惹かれるには十分すぎるものだったのではないか。
いつかの公式動画で「この舞台においては人間というものを一つ大切にしたい」と演出の稲葉さんが話していたが、第二幕はこんな感じにあらゆるキャラクターの人間性がグッと深まる場面が多かった気がする。
第4場はそういう意味でロンの人となりをとても豊かに深めた場面であり、同時に何かが違えばもっと共にいれたのではないかと思わせるものだった。
それと、ここの場面は全体を通しても一番激しさを感じるシーンでもあった。
今まで溜めに溜めていたものを一気に放出して坂を駆け上がったような…。
とにかく凄かった。
・第5場
裁判が終わり、保護観察として釈放されたアラン。
パッドと再会し、これまでに何があったかを彼女に話す。
大まかだが事前に史実を調べてはいたのでここでの処置については知っていたが、実際に人の言葉として出るとあまりにもグロテスクな話だと痛く感じた。
名誉を奪われ、尊厳も人間性も奪われてぐちゃぐちゃにされて、アランは「君と結婚しておくべきだった、そうすればこうならなかったのではないか」と自嘲的にこぼす。
「それが普通なんだ。若い頃に羽を伸ばして、大人になったら順応する」
それからこれに対してアランは「できなかったから」と続ける。
腹に重い石がのしかかるくらい苦しい言葉でクライマックスに向けてどんどんたまっていく何かを感じる。苦しい、終わりにこの気持ちを抱えて帰れるのか!?という程、画面とは裏腹に見ているこちら側の心は重くなっていく。
・第6場
1幕4場に登場したスミスとアランの対話シーン。
決して気持ちの良いシーンではないが、正直緊張感としてはこの舞台でかなり好きだった場面かもしれない。
今後、暮らしていく中で常に国に対して連絡を絶やすなと言われるアラン。
平たく言えばこれから半永久的に監視されて生きていくのであろうと思わされる場面だ。
終始アランに対して役人的かつ蔑視の眼差しと言動を向けるスミスに怒りを募らせていくアラン。
双方の役者さんの演技も相まってとにかくヒリつく、凄まじい気迫を感じた。
ここのアランがね、かっこよかったんですよ…。
アランを、まるで悲劇の主人公であるかのように決めつけた視線で見るスミスに対し、上の台詞を聞いた途端どこか興味を失ったような、まるで矮小な存在と理解したかのように少し言葉が柔らかくなったアランが個人的には「こんな顔もするんだ…!」とドキリとしたシーンだった。
少なくとも、煽りに対して即座に知識で返せるアランは本当に頭が良いんだなと改めて思った場面。大好きです。
・第7場
一番好きなシーン。多分観た人の7割くらいはここのシーンを好きというと思いますが、本当にそう。
第6場にてアランはギリシャへ旅行へ行くと言っているのですが、それがこのシーンだと思われる。
開幕、現地で出会った青年・ニコス(演:田中亨)と床を共にしたアランがキラキラとした木漏れ日の下で狸寝入りをする彼に抱き着くシーンから始まる。
まず照明が綺麗すぎて。
正直できれば実際に見てもらいたいくらいには画面が素晴らしかったので言葉も感情も乗せて絵にするしか私にはできなかったのですがせっかくなのでここには言葉も書いておきたい。
ギリシャに行くのは5月だと言っていたことを思うと、この後に続くアランの最後よりも前の話であると考えるのが妥当ではあるのだが、私個人としてはこの場面が彼の言う「肉体から離れた魂の世界」の形の一つだったらいいな…なんて少し考えてはしまう。
顔クリスと一緒だしね…みたいな、そんな浅はかな話ではあるんですが。
端的に言って、彼が魂となった世界で再びクリスと共に在れればそれ以上のことはないと思わされるシーンだったなという気持ちです。
アランはこの言葉の通じない青年に自身の全てを話す。自分が何をしていたか、何をその時思ったか、何を選択したか。
そしてアランは最後にこう言葉をこぼす。
「長い目でみれば、重要なのは暗号を破ったことじゃない―そこからどこへ向かうのか。それが本当の問題だ」
・第8場
場面が変わりロスがアランの部屋にいて片づけをしている。
亡くなったアランの遺品をまとめているシーンだ。
アランはこの時点で自殺と断定され、この場所にサラは呼び出されてやってくる。
「アランが自ら命を絶ったなんて馬鹿げている」
サラは、アランが自殺をしたということに懐疑的だ。自殺するはずがない、自殺するような子には見えないでしょうと。
正直この辺は史実とも絡む話なので何とも言い難い場面ではあるが、第3場の項目において話したサラその姿はあまりにも母親であったというのに近いものを、少なからず子の台詞には感じている。
・第9場
ラストシーン。舞台の中心にアランが立っており、こちら側に語り掛けてくる。
理論家であり実践的な人間であると自称するアランは一個のリンゴと青酸カリの入った小瓶を手に取る。
…長編物の物語において、どんなにつらく苦しいお話でも最後の、たったひとつのシーンに行きつくだけでこの作品を見る価値があったと思わせる作品が稀にある。
この作品『ブレイキング・ザ・コード』の第9場はまさにそのように感じさせるラストシーンであった。少なくとも、何度も見れるのであれば私はここに行きつきたいがためにこの作品を見てしまうであろう。
▮全体を通して
個人的には興味深い話だったし好きな題材で好きな部類のお話であったというのが大前提にあるのだが、しんどい場面がないものかと言われたらそれは嘘で…。
個人的には大ハマりした作品であったが、事前情報で好みが二極に分かれると聞いていたのも納得はできた。
ある程度観るにあたって心のどこかしかにダメージを受ける作品だとは思う。
だがその傷を負ってでも観るべき作品であったし、こういった、所謂便宜上”悲劇”と呼ばれるお話を人は観るべきであると改めて痛感させられた。
誰にとっての悲劇であるのか。それは”本当に”悲劇であるのか。
ただそれだけを見誤らないように、思考を、想像を繰り返して、思いを馳せる心が長い目で見ればあってほしいと。
人間、悲しい結末というものからは往々にして目をそむけたくなるのが常というのは百も承知であるが、それでも尚、どうか目をそらさずに見てほしいと常々悲劇というものの存在する意味に対して思っていたすべてが乗っていた作品だった。
アランは第二幕の冒頭で我々に問いかけた。
「コンピューターに知性はあるのか」と。
この物語を見ると不思議とコンピューターにも非常に豊かで、長い歴史を通して育まれてきた心があるのではないかと思わせてくる。
無機質のように見えて論理的なように見えて、真空管を抜かれたとて悲しくなる心など持ち合わせていないように見えて、複雑で機微の程度こそあれど確実に痛む心が人々にもあるように。
さて、この話は【悲劇】であったのか。
――「重要なのは暗号を破ったことじゃない―そこからどこへ向かうのか。」
それは是非とも自身の目で、頭で、心で考えて欲しい。
▮舞台美術について
小難しい話はこれくらいにしてざっくりとした感想をここからちまちまと。
美術!とにかく綺麗だった、というのも光の在り方が印象的で、無機質な蛍光灯から木漏れ日の温かい光までとにかく綺麗…!
これ生で見たらもっと最高だったんだろうなぁ~と何度思った事か。
それと、舞台全体の配置については結構好みが分かれるんだな…と以前ぽつぽつ読んだ他の方の感想を見て観測したのですが、私自身はアランの頭の中のようだなぁという感じで凄く”らしく”て好きでした。
確かに散漫としてるな、とは思いつつもそれがどこかアランっぽくて。
▮心配すぎるだろ
いやこれ見た人ならわかると思うんですけど主演やるメンタルのカロリー半端なくないですか……!?(?)
感受性豊か過ぎる人がやったらこれぶっ潰れちゃうくらいしんどいよなって…。
少なくとも観てた人間ですらこのざまだからこれ演じるって相当な負荷だよな…と。
わかんない、とりあえず元気に朝ドラ出てくれてありがとうとしか言えないのですが、凄まじいな…。
実際パンフレットでも「興味深さと同時に演じる事への恐怖も」と書いてらっしゃったの見てそりゃ~~~…そうですよね…と大納得。これはしんどいですよ…素人が言っていい話じゃないと思いますけど…。
あと公式の動画を見ててバナナとゆで卵しか食べてる姿見かけないって言われてたの何…?
▮おわりに
はじめてこのような長文の感想を書いたのですが、こ、こんなのでいいのだろうか…。けど学生時代の読書感想文以上に真面目にやってるかもしれない。
リアルタイム勢じゃないことを逆手に新鮮な感情そのままをそのまま書くぞ!!!!と息まきだいぶ駆け足で書いたため、日本語がおかしところもかなりあるかとは思いますが2023年の暮れに突如としてまっさらな気持ちでブレイキングザコードを観たド新規の人間の感想だと思っていただければと思います。逆にないでしょ、きっと…!
改めて、この12月に上映会を企画してくださったスタッフの方々、そして舞台を作ってくださった関係者の方々、本当にありがとうございました。
個人的には一生ものの舞台に出会えた気持ちです。
プロデューサーの方曰く、配信も再演も可能な限り目指したいとのことなのでぜひ実現いたしますように。いつまでも待ってます。
最後に、公式様のあげてくださっている動画の再生リストがありますのでそれを貼らせていただきます。
もし興味を持った方やまだ見たことなかったという方は是非に是非に…。
それでは、拙い文章ではありましたが、これにて〆とさせていただきます。最後までお読みいただきありがとうございました。
愛してるぞ…アラン…!!